ニュース/木原110815

(このページは、修猷館高校昭和54年卒「合志会」サイトの一部です。)

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いわき市災害ボランティアセンターから報告   2011年7月
ボランティアコーディネータとして木原宏三(s54卒)


「写真でわからない状況報告を」、とリクエストをいただきましたので、公開しにくい情報もありますが可能な範囲で、追加提供させていただきます。

九州ブロックは福島県を支援することとなっており、長崎・佐賀・大分→福岡市・北九州市・沖縄→熊本・宮崎・鹿児島と、2名ずつ計6名でローテーションを組んでいます。

7月10日(日)福島県いわき市入り

11時45分福岡発、直行便が無いため大阪伊丹空港で乗換え、福岡-伊丹はプロペラ機、伊丹-福島はジェット機で、15時30分福島着ちなみに復路はどちらもジェット機だった。

福島空港で先発隊が乗り入れた福岡市社協ボンゴに乗りいわき市へ移動、いわき市役所へ駐車し、17時ホテルへチェックイン。17時30分にいわき市社会福祉センター、災害ボランティアセンターに到着。役割分担(業務の従事内容)を決め当日の活動報告及び27クール(鹿児島・宮崎・熊本)と簡単な引継を受けた。私はオリエンテーション・マッチング班になった。

心配される放射能は現在基準値を下回っているが、あくまでも空気中の値であって、土・水・その他の物に蓄積していないか?食べ物は大丈夫か?など現地の方々も含め内部被爆の危機感はぬぐい去れないのが本音だ。子供の将来のことを考え、泣く泣く福島を去る人の気持ちがわかります。

私が滞在したビジネスホテルは原発の近くから避難している親子や東京電力の作業員さんもいて、へたな会話はできない状況でした。

7月11日(月)引継

6時半に起床、朝食はゆで卵、バナナ、トースト、飲み物(牛乳・オレンジジュース・コーヒー)

8時ホテル出発、8時20分業務開始、当日のニーズ、ボランティアの必要人数が発表される。

9時前頃、震度4の大きな余震があり、活動が一時中断された。津波の危険はないとのことだった。

不思議だが30日おきに必ず大きな余震が起こっている。

雨の日は、地盤がゆるみ、放射能のことも考慮し活動は中止となる。

オリエンテーション・マッチング・グルーピング

平日はボランティアさんが150〜200人、土日祭日は400〜500人が集まってくる。

ニーズは新規を含め毎日30件ほどがあがってくる。個人ニーズの対応が原則で、家財整理、がれき撤去、運搬、廃棄が主な活動となっている。

1件のニーズに対し5人から多くて20人のボランティアさんが必要となる。

まず1階プレハブで受付を済ませていただき(初めての人はボラ保険の手続きが必要)、5階のセンターに上がっていただく。始めて活動する人はオリエンテーションを受けマッチングの席へ、2回目以降の方は直接マッチングの席へ進んでいただく。
グルーピングではまず、ニーズの内容と必要人数を説明し、希望を募る。車を出せる方に何人か手を挙げていただき、次に活動希望者を募り必要人数に達したらグループとしてまとまってもらう。

グループでリーダーを決めていただきリーダーは現場で依頼者とトイレの場所、水(ない場合はポリタンクを持参)、避難する方向を確認し皆に伝えたり、時間をみて休憩を取るなどの役割がある。

作業の流れと注意事項を伝達

(ヘルメット・軍手・長袖シャツ・防塵マスクの着用、水分補給、休憩、作業終了、報告)

屋外ではなく室内の作業ではヘルメットをかぶる。何故か?逆では?室内では余震により落下物があったり家が傾いていて低い姿勢で作業をし、異動した後、立ち上がったときに頭を打つことがある。

切り傷、擦り傷が絶えないため「軍手・長袖のシャツ」は必ず着用、特に長袖のシャツは持参されていない場合は購入してもらっている。作業中は誇りが大量に出る、アスベストの心配もあり防塵マスク着用も義務づけられている。

外での作業ではみな比較的気をつけて水分をこまめに取るが、室内での作業の場合、油断して水分を取らずに熱中症になる人が出ており、注意が必要。

休憩は必ず20〜30分以内に10分取るようにする。(知らないもの同士が一緒に作業をしているため、みんな遠慮してなかなか自分から休憩を取ろうとしない、リーダーが声かけし一斉に休む。)

注意事項を伝えた後、リーダーに音頭を取ってもらいエイエイオウ!とグループみんなで声を出し出発。出発の際は、防塵マスク・軍手・塩飴・ペットボトル(水)をそれぞれ全員に手渡し、見送る。リーダーは1階で必要な資材を受け取り現場へ向かう。ネコ=1輪車、トラ=軽トラ、土嚢袋、カクスコ、マルスコ、ブルーシート、水入りポリタンク、ほうき、他

最近は釘を踏んだり、ガラスが刺さったり、手ががれきの下敷きになったり、縫い合わせなど病院での処置が必要なしかも慣れた方の怪我が多くなっているため、繰り返し十分な注意を呼びかけている。怪我をした場合は大小にかかわらず必ずすぐ報告してもらう。

次に作業はへとへとになるまで100%の力を出しきるのではなく、70%ぐらいの力で余裕を持って活動していただき、また次の活動に備えていただく。依頼者も夕食の準備などがあるため15時になったら活動を終了し、後片付けの後16時までにセンターへ戻り報告をお願いする。

報告とは、作業が終了したのか、まだ継続して行うのか、継続の場合、次は何人ぐらいボランティアが必要でどのような資材がいくつ必要か、終了までの見込み日数はどのくらいか等、

この日は比較的スムーズにマッチングが終わり、10時から四倉の現場へ向かう、20人程度のグループが既に活動していた。現場作業は全壊した家のがれき撤去、ゴミの分類(ガラス、鉄くず、木材、陶器、家電品、不燃物、可燃物)及び運搬。

土嚢袋に詰められたがれきを軽トラに乗せ、いわき市四倉支所で「災害ゴミ搬入申請書を作成」後、ゴミ捨て場へ搬入、3往復したところで15時となり、作業終了。

四倉港、久ノ浜の被災地を案内してもらう。四倉港は打ち上げられた漁船や屋根だけ残って崩壊した漁協の市場等がまだそのままの状態で、屋根が残った店舗の一角で道の駅だけが営業していた。

久ノ浜は火災でほぼ街が全滅、家の跡形も無くなってる地域もあった。全壊・半壊の家を重機で取り壊しているところもあるが、波に流されたり避難先が不明だったり、行方不明で家主と連絡が取れず、ニーズ依頼が上がらないことには勝手にボランティアも入り込み、整理することはできないため、まだまだ手つかずの地域が多い。焼けて鉄の部分だけが残った保育園の送迎バスやその他の車の残骸が錆びて赤くなり、1カ所に集めてあった。

魚や潮、油やヘドロが混ざった独特な悪臭がまだ残っていた。

船は三陸地方全体(岩手、宮城、福島、茨城)で1500隻あったものが200隻しか残っていない。これには福島県相馬地方の船団130隻が含まれており、昔からの言い伝えを忠実に守り、地震と同時に沖に出たため助かったもの。津波が6波ほど来て第2波が一番大きく、直進するとひっくり返るため斜めに進み一番高い所で波から飛び出さないようにエンジンを切り波を下ることを繰り返したそうだ。携帯で家族に津波を伝えようとしたがつながらず、一晩たって港に戻ったらもう街がなかった。と聞いた。家族を亡くされた人も多い。

特に福島県では相馬地区など船は生き残っているのに、原発からの放射能漏れの問題で、現在漁業には従事できない状況が続いており、港湾関係は整備が進められていないようだ。

16時センターに戻り、それぞれのグループの活動報告を受け終了・継続に分け整理、約10台ほどあるレンタカー(トヨタハイエース・軽トラ等)にガソリンを補充しに行く。

その後、17:30から小名浜のサテライトを含め全体ミーティング、18:00からグループ別ミーティングを行い20時に活動終了となった。

7月12日(火)

ボランティアセンターでのマッチング、グルーピングが一通り終わった後、新たな活動希望者2名が現れたため、小名浜の現場へ連れて行くこととなる。1人は埼玉の50歳ぐらいの男性で現在スペインに勤務中、一時帰国したため参加した。外国では日本中が放射能に汚染されているような報道が行われており、飛行機を出して自国民を隣の韓国や中国に移動させたり、避難を呼びかけている。とのこと。また、もう一人は東京の美容室に勤めている20代の女性で休みを取ってきており、現場を見たいという気持ちがあったようだ。小名浜の現場では一度詰めた災害ゴミを再びばらして、細かい種別に再分類する作業と、それをゴミ置き場まで運ぶ作業で2班に分かれて活動していた。途中小名浜のボランティアセンターを訪問、個人所有の何かの会社の資材置き場と2階の事務室を借りて運営していた。

小名浜港には比較的大きな船が停泊していた。港近くは風が涼しく過ごしやすさを感じた。

この日は久ノ浜の現場でがれきに手を挟まれ怪我(打撲)人が出た。

避難所の状況

災害発生後、学校等の体育館などを中心に避難所40ヶ所に2千人余の避難者がいたが、現在は仮設住宅や公営アパートへ入居され現在は避難所3ヶ所に50人程度が避難所生活を送っている。

プライベイト空間も増え、生活は避難所より良くなってきているが、エレベーターがなかったり、元の自宅とは生活環境が変わるなど精神的なストレスから体調を壊す人が増加している。

仮設住宅や公営アパートの居住者へは、年齢性別関係なく保健師、生活支援相談員がペアで全世帯を訪問し相談支援活動をおこなっている。傾聴から必要なニーズを引き出しサービスへつなぐ。

避難生活を強いられている認知症高齢者の7割は環境の変化により新たに認知症を発症している。

避難所では民生委員・地域ボランティアによる「ふれあいネットワーク活動」、医療関係者・施設による「出張デイサービス」、特に土日に開催される「ふれあいサロン」などは孤立化を避ける仲間作りの活動としてボランティアが活躍している。

7月13日(水)

勤務のローテーションの関係で、11時から総合受付業務に従事した。県外からのボランティアの問い合わせ、特に関東(埼玉・群馬・千葉・東京・神奈川)からの電話が多かった。高速料金の問い合わせの件、埼玉のバンドで仮説住宅地での音楽活動の申込があった。

ボランティア

ここに活動に来るボランティアさんは、仕事の休みを取り、しかも自費で車や特急電車(スーパー日立)で手弁当で参加している。中には寝れるように改造したワゴン車でやってきて数日間活動して帰る人もいて頭が下がる思いだ。

職業・肩書きに関係なく利害関係もない同じ目的で集まり、朝、初めてあった者同士が一緒に汗を流し活動を終えて帰ってくると、こころが通い合ういい仲間となっていました。

仲良く握手をしたり写真を取り合って別れを惜しんでいる様子を見ると、心が熱くなった。

7月14日(木)

震災が直接の原因ではないと思われるニーズがあがったため、ボランティアさんの心情を害さないよう現場に同行、事前に依頼内容についてボランティアさんに理解を促し活動を開始した。

一人暮らしの87歳の女性が脳梗塞で入院、自宅(ゴミ屋敷)の片付けができない。息子が近くに住んでいるが膠原病で重労働は無理なので、震災ゴミではないが、分別、搬出、ゴミ置き場への搬入。

どこにでもありがちだが、ボランティアを便利屋として依頼されると対応に困ることがある。このケースは断ることも難しく派遣となったようだ。

職業,肩書きに関係なく一緒に活動し,汗をかき,すばらしい仲間作りが出来ました。

今日も全国から駆けつけてくれるボランティアさんの熱い情熱に頭が下がりました。

現場も3回目,暑くて汗が止まらず,少し疲れてきましたが,まだまだ頑張りたいと思います。

7月15日(金)

毎日ボランティアさんが入れ替わるため,引き続き昨日と同じニーズに同行した。

夕方、29クール(鹿児島,宮崎,熊本)と簡単な引継ぎを行った。日曜からあっという間の7日間でやっと慣れたころに交代となってしまった。

活動も最後となる16日は3連休の初日で、ボランティアさんも400人をこすと思われる。

7月16日(土)

本日のニーズは26件で、ボランティアさん396名が活動した。

ニーズは個人からの依頼で家財整理、瓦礫の撤去、ゴミ分別とゴミ置き場への搬入の他、町内会からの依頼による側溝の土砂運びがほとんどとなってきた。

よって、1件にボランティアさん20人以上を派遣する大口のニーズが多く、現場のリーダーの目が行き届かなかったのか、怪我人が2人も出てしまった。2人とも慣れた方で、もう一度活動中は充分注意していただくよう29クールに引き継いだ。

今日で活動も終わりと思うと,一緒に活動した仲間と別れるのがとても名残惜しい。

7月18日(日)

午前、お世話になった「いわき市ボランティアセンター」、「小名浜サテライト」に挨拶し、途中被災地を通り午後福島空港へ、帰福の途へ

被災地の復興にはまだまだ時間がかかります。施設や建物などハード面は復興しても、被災者の精神的な痛みが和らぐのにはかなりの時間が必要です。ひき続き皆様のご支援をよろしくお願いいたします。




いわき市からの報告I


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Last-modified: 2020-12-03 (木) 17:23:41 (1234d)
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